Gylfaginning

反抗期な弟



 「……あ」
 ノルウェーの海岸線に沿って歩いていると奇妙な格好をしたアジアンを一人見つけた。見慣れないその服装は何となく地味な色をしていて少しカッチリしたガウンのような形をしている。寒そうに白い息を吐きながら目を輝かせて珍しいわけでもないただの海を見ている。小柄な男で髪の毛も目も黒い。大きなキャリーバッグを傍らに置いて忙しなくカメラを弄っていた。
 どこかで見たような気がする。アイスランドはぼんやりその姿を眺めながら首を捻る。アジア人は皆一様に似た髪と目の色をしているので正直見分けがつかないのだが彼はどこかで見た。中国がまず頭に浮かんだがそうではないだろう、なんとなくイメージと違う。
 「おや?」
 こちらに気付いて彼がバッグを転がしながら歩いてくる。石畳の窪みに合わせてカタンカタンと車輪が鳴った。
 「アイスランドさん、こんにちは」
 「……ああ、日本」
 見た目にそぐわないしかし柔らかな低い声を聞いて思い出す。アジアの経済国家で変わった文化が多い不思議国家らしい日本。昔何かで会ったがうっかりしていたようだ。そういえば最近捕鯨のことやらIMFでなんやかんやした気がするがすっかり頭の外に置いていた。
 「何で居んの? ノルん家観光?」
 「半分はそんなもので……ノルウェーさんのご好意に甘えてここ数日お部屋をお借りしているんですよ」
 人当たりの良い笑顔を浮かべつつ日本が言う。持っていたカメラを肩からかけたセカンドバッグに直した。その動作は緩慢でなんとなくその内スリにあいそうで見ていてハラハラする。ここは他に人もいないので今のところ危険はないのだが。
 「ふぅん……」
 潮騒が響く中海に目を遣ると平生通りに青空を映して青々としていた。
 「美しい風景ですよね」
 しみじみと呟く声にアイスランドは微かに眉根を寄せる。日本も島国なのだから海は見飽きているだろうに。ここがヨーロッパだからとかフィヨルドとかそんな雰囲気に流されているだけではないのだろうか。アイスランドは特に答えずにいた。
 「見っけ」
 騒つく潮騒に混じって一言だけ、聞きなれた声が明瞭に耳に入る。
 振り向けば想像した通りの人物が立っていた。バリエーションのない眠そうな、どこかにやる気を捨ててきたような表情で草原を踏みながら歩いてきている。表情に応じてその動きもどこかダルダルとして覇気は感じられない。
 「アイスでねが。どした」
 「別に……散歩してただけだし」
 ふいっと顔を背けると小さく日本の笑い声がした。くすくす、くすくすと。隠そうとしているのか口に手を当てているが無意味だ。
 「な? 言ったべ」
 「ええ、そうですね」
 ニヤついたノルウェーと日本が顔を見合わせる。アイスランドは理解の及ばない領域で交わされる会話にむっとして口をへの字に曲げた。
 「意味わかんないんだけど」
 「おめが反抗期だって日本に教えた」
 「何それ! ちょっとノル、あることないこと吹聴しないでくんない?」
 頭からぽこんと蒸気が噴き出すのを感じながらアイスランドは顔を歪める。2,3個目の怒気が頭からぽこぽこと湧いて出た。
 対してノルウェーはどこ吹く風といったふうに(傍目には分からない程度の変化だが)にやにやと勝ち誇ったような笑みを浮かべつつアイスランドを眺めている。
 「お兄ちゃん」
 「……ヤだ」
 マジックワードを発動すると同時にノルウェーの背後に何かの気配が蠢き始める。霧のような煙のようなものが一瞬見えたが知らない振りをした。
 「お兄ちゃんつったら撤回してやろ」
 「言わないし、別に反抗期とかじゃないし」
 口を尖らせて拗ねるアイスランドを見上げて日本は眉根を下げて苦笑した。どちらかといえば母親が花畑でハシャぐ子供を眺めている時のような笑顔に似ている。
 「言わねなら言わねで……日本、帰っぺ」
 「あ、ちょっと!」
 日本の手を取って歩き出そうとするのを見て思わず声が出る。わかりきっているくせにノルウェーは大仰にくるりと振り向いて「どした」とにやけ顔のまま呟いた。笑い声こそあげないが心中では笑っているに違いない。
 「……日本、」
 このまま兄と呼ぶのは何となく負けのような気がしてアイスランドは一先ず日本を呼ぶ。はい、と返事があって日本がアイスランドに向き直った。
 「…………もう半分の理由、聞いてない」
 適当に話題を外してみたはいいものの、その先を考えていなかった。苦し紛れに理由を作ってみたが、やはり苦しい。
 「半分?」
 「ノルの家に泊まってる理由。さっき観光は半分って言った」
 「あぁー……」
 苦しい言い訳だというのに日本は素直に聞いてくれていたようだ。合点がいったようで日本は小さく頷く。愛想の良い笑顔で答えた。
 「最近北欧神話を読み始めまして、ノルウェーさんの家にある原本に近い本を見せて頂いてるんですよ」
 なかなかヴァイキング時代の歴史ともリンクがあって面白いですよね、と続けた。
 「日本、うちの言葉まだわがんねがら読み聞かせてんだ。ベッドん中で」
 日本の手をとったままノルウェーが息を吐く。まだ心持ち意地の悪い笑みを浮かべていた。口の端を僅かに吊り上げている。
 「え? 何って?」
 「うちの言葉まだわがんねがら読み聞かせてんだ」
 「そっちじゃない」
 埒が明かないでチラと日本を見遣れば困ったように微笑まれた。
 「子供みたいですよね、神話を読んでもらいながら寝てしまうだなんて」
 随分と色気の無い可愛らしい答えにアイスランドが目を丸くする。照れたように笑いを浮かべる日本の横でノルウェーが噴き出した。顔を背けて口を覆い、肩が震えている。 
 「何想像した?」
 「……別に」
 「言ってみ」
 「うっるさいなぁ、もう」
 愈々腹が立ってきて顔を背ければさっさと笑いをやめたノルウェーの声が聞こえた。
 「じゃあ行こなぃ。今日はスリュムの歌聞かせてやろ」
 あっさりとアイスランドに背を向けてずかずかとノルウェーが歩き始める。アイスランドの顔色を窺いながら躊躇しつつも手を引かれて日本もついていった。
 「……あっ」
 二人の向こうにノルウェーの車が見えている。紺色で大きめのミニバンだ。あまり綺麗には扱っていないらしく所々禿げていて汚れている。
 アイスランドを反射的に二人を追いかけて、追いつくと同時に日本の手からキャリーをひったくった。驚いて立ち止まる日本の、空いた手を握る。
 「……僕も行く」
 「おめもスリュムの歌読んで欲しいんか?」
 「違うし。日本と話したいだけだし」
 ノルウェーとは目を合わさぬように視線を外しながら口を尖らせる。日本の手をぎゅっと握りこんでキャリーバッグの取っ手を持って片手で持ち上げる。
 「差し詰め私は体の良いダシ、ですね」
 ふふふ、と老婆のように笑う日本の声は無視した。草を踏みながら澄んだ青空を見上げる。別に美しくなんかなかった。




アトガキ
今まで書く機会がなかったんですが、意外に楽しい三人でした。しかしノルウェーの喋りがわからん……。
初日夜:ソファで北欧神話読んであげてたら日本いつの間にか寝てた→2日目夜:諾「日本がいつ寝ても良いようにベッドん中で読むから」→3日目以後:諾のが先に寝てしまう。 こうなる。

『捕鯨枢軸トリオ(日氷諾)』でした。リクエストありがとうございます!
からかう兄と翻弄される弟と和やかに眺める爺ちゃんだな…これだと。
捕鯨ネタでいくべきかと考えたんですがぶっちゃけ捕鯨ネタは緑豆とかのイラッとしてる話しかわからなくて(;^ω^)北欧神話大好き!