make and clear the port

人見知りの駄々



 初めて日本へ到着した頃の彼は油が染み付いて端々が破れた襤褸布を纏い、埃と煤に塗れた肌とくしゃくしゃと縮れて乾燥してしまった髪を気にする余裕もない様子だった。げっそりとこけた頬と落ち窪んだ眼窩に影が落ち、その姿は落ち武者や骸骨を連想させる亡霊さながらといったもので、彼は同じく非道い有様をした子供たちの傍らに付き添いながら裸足のまま船から降りた。一歩進む毎に注意深く周囲に視線を走らせ、迎えに出た日本と目が合うとすぐに顔を伏せる。敦賀の港に7月下旬の一陣の湿った風が吹いて日本は努めて外交用の表情を保った。
 子供たちと彼の服は港で消毒を受け、その上で彼らは新調された浴衣に着替えた。そこから列車を使って一日がかりで東京へ移動し、予定通り375人の子供たちは病院の隣にある施設へ預けられた。しかし彼を子供たちと同じに扱うことは体面上許されず、例外措置を必要とされた。受け入れが決定した時点から議論されていたが結局彼のみ日本の私邸へと運ばれることになった。日本はその決定に対して何度か疑問を投げかけたが「他に選択肢が思いつかない」と上司に一蹴される。施設からほど近いということが大いに要因していたらしい。
 子供たちの収容を確認した後に車で運ばれ日本は自宅前で軽く謝辞を述べてから部下を返した。ふらふらと足元のおぼつかない彼を玄関に誘い、久々に見る我が家の鍵を開けて引き戸を開けると留守を守っていた小さな犬が足元に飛びついてくる。
 「どうぞ、何もないところですが静かなものです。ご療養には十分かと思いますが何か不備が御座いましたら」
 犬の頭を撫でながら振り向くと彼は音もなくその場に倒れこんでしまっていた。
 日本の頭にまず過ったのは医者を呼ぶことで、同時に早々に部下を帰してしまったことを悔んだ。慌てて彼の名前を呼びながら体を揺すり、狼狽した主人を見て犬は甲高く吠えた。幸いその騒音に驚いた近所の人々が押っ取り刀で駆けつけ、親切にも彼を運び入れまた饅頭屋の息子が走って医者を呼んでくれたので事無きを得た。栄養失調気味ではあるが幸い重大な病気ではなく、疲労が極限まで達してしまったのかそれとも既に限界を超えていたのを無理していたのか、油の切れたようなものだと初老の医者は説明した。
 次の朝、日本は上司に電話で連絡し昨日のことを伝えた。すると監督責任があるので今日は出てくるなと命令され、部下がわざわざ家まで仕事を運んでくるという。結局仕事は休めないではないかとの不満を飲み込んで電話を置くと、カチャカチャと犬が板張りの廊下を歩く音がした。「ぽちくん」と犬の名を呼びながら振り向くと犬の横に影が落ち、少し離れた場所に彼が立っていた。目が合うと彼は一旦壁に身を隠したが、またちょこんと顔だけ出しもごもごもと不明瞭に言葉を発しようとしていたがどうにも纏まらない様子だった。助け舟のつもりで日本が挨拶すると一瞬身を竦ませ彼は何度か肯いて見せたがまたすぐ壁の向こうへと消えてしまった。
 それが大正9年の夏である。

 日本はそれまで彼の国についての印象はほとんどなかった。ただドイツとロシアの間に家がある、程度の知識で大凡彼の気質性格といったものは全く未知の領域といえた。それ故に彼に対する態度を、彼に対して如何に接するべきか日本は悩んだ。常に日本と距離を保とうとするので警戒心が強いのかと思えば犬相手には満面の笑みで一緒になって遊んでいるし、話すのが苦手かと思えばシベリアから一緒に来た子供たちとはおどけて見せたりしながら楽しげに話している。
 彼が日本の家に住んで一年が経とうとする今彼は健康と清潔さを取り戻し元の美男子へと変貌したが、日本との関係性に変化はなかった。会話をするのもほぼ一方的に日本が数言話す程度で彼からの返答は少ない。視線が合えばすぐに逸らされ、身を隠そうとどこかへ消えてしまう。日本の知る欧米人とかけ離れた態度から日本はいつしか嫌われているのではないかと思うようになっていた。そう思うと更に彼が不憫に見えて仕方がなかった。夏でも夜毎寒い寒いと魘される程悪夢のシベリアで暮らし、救出された先でまた好かぬ人物と暮さねばならないとあればどれだけの苦痛だろう。
 だからこそ、7月の初めに来たアメリカからの連絡に日本は安堵した。その日の晩に向かい合って夕食を食べながら彼にその報告をする。
 「来週、アメリカ君の船が来ます。それに乗ってあなたと子供たちは祖国へと帰れますよ」
 良かったですね、と言うと彼は朱塗りの箸(初めはフォークとスプーンを使っていたが次第に箸に慣れたらしく、今は器用に箸で食事をしている)を掴んだまま呆気にとられていたようだった。俄かの朗報に驚いているのか、喜びが深すぎて表現を忘れているのか、彼は何度か瞳を瞬かせるだけであった。


 出港の7月8日は梅雨が明けて爽快な晴れの日だった。港には既に補給と積み荷の積み下ろしを終えた中型の商船が黒煙を噴き上げながら佇んでいる。そのタラップの前には子供たちが集められ何やら各々話をしているようだ。日本が客人と共に港に到着するとアメリカが見慣れぬ青年を連れたって居た。目が合うとアメリカはいつもの愉快そうな笑顔で諸手を振って存在をアピールをする。アメリカにつられてこちらを見た青年があっと一声挙げて早足にこちらに向かってきた。その表情は喜色満面といったもので己を急かすようにして駆けて来る。その後ろからアメリカがやる気なさそうについてきた。
 「ポーランド! ポーランド! 良かったぁー!」
 「おわ、リトー」
 青年は大袈裟な歓喜の声を挙げつつ日本の隣に居たポーランドに抱きつく。反面ポーランドはと言うと落ち着き払った様子で青年のハグを受け入れた。様子を窺っていると知り合い同士のようで、邂逅を喜んでいるらしい。
 「ハシャぎすぎなんだぞリトアニア」
 置いて行かれた不満をぶつぶつと呟きながらアメリカがポケットに手を突っ込んだ格好で歩いてくる。日本と視線がかちあうと肩を竦めて見せた。
 「あ! ごめんなさいアメリカさん。嬉しくってつい」
 慌てて青年が悪びれながらも笑顔が混ざった器用な顔を上げて謝罪する。目にはうっすらと涙が浮かんでおり青年にとってポーランドとの再会は泣くほどの激しい喜びなのだろう。それ程の親密な間柄があるというのは、日本にとって少し羨ましいものに見えた。
 「日本、彼はリトアニアって言うんだぞ。彼今ウチに住んでるんだけど、今回是非連れて行ってくれって懇願されたんだ」
 「初めまして! ……と言ってもロシアさんと戦争してる間、付き添いで一度お会いしてますが」
 「え? え……あー……」
 そんな記憶はない。というよりも当時はロシアに対する警戒に必死だったせいで宣戦布告時も停戦条約調印時も従者の姿など見ていなかった。リトアニアの姿をよく見返しても記憶の断片に引っ掛かるものはない。
 「お、お久しぶりですリトアニアさん。お元気そうで何よりです」
 本音を言うわけにいかずぎこちない愛想笑いを浮かべながら握手をすると疑う様子もなく笑顔を返され、日本は良心がやんわり締め付けられるのを感じた。
 「覚えていて下さって嬉しいです。ポーランドのこと、ありがとうございました。彼とは親友なんです」
 礼儀正しい態度と言葉に曖昧に相槌を返しながらリトアニアの後ろに隠れてしまったポーランドを見る。ここに来て心を許せる相手と再会できたのは彼にとって幸いだ、漫然とした安心感に日本は「こちらこそ、来て頂いて良かったです」とリトアニアにお礼を返した。リトアニアは意味がよく理解できなかったようで首を傾げたが何か疑問を述べたところで汽笛の重低音に掻き消される。
 「出航の時間だぞ」
 忙しない、などと本日何度目かの不満を愚痴を零しながらアメリカはリトアニアとポーランドを船へ向かうように促した。
 「じゃぁ日本、また今度来るよ」
 「ええ、お待ちしております」
 「それでは僕達も失礼しますね」
 「リトアニアさんもまた今度ゆっくりしていって下さいね。お二人とも、お元気で」
 軽い別れの挨拶の後、アメリカとリトアニアは踵を返す。ポーランドはリトアニアの服の裾を掴んだままその後ろについて行った。
 タラップ近くの児童達に目をやると、彼らのお別れも愈々時間切れが近くなったようで数人の子供が泣きながら看護婦などに抱きついている。情深い看護婦らも彼らをひしと抱きとめながら諭すように頭を撫でていた。
 そんな物悲しくも可愛らしい別れの場面をぼんやり眺めていると、足音が一つ近づいてきて日本は視線をそちらへ向ける。隣にポーランドが立っていた。今日の為に誂えた水色のシャツを指で弄りながら日本を見降ろしている。
 「あの……忘れ物でもありましたか?」
 彼の薄くて白い肌は血液が透けて赤く染まり、下唇をぎゅっと噛んでいる。それから溢れるように涙が瞳に溜まり始め先ほどリトアニアにしていたように盛大に抱きすくめられた。
 「嫌やしー! 俺帰らんしー!」
 そう叫び声を挙げてポーランドが泣き出すと同時にリトアニアが足早に戻ってきた。「何言ってんの!」と焦燥しきったやや上擦った声で叫ぶ。
 「俺日本ちの子になるー!」
 「ポーランド! もう、ポーランド!」
 「俺日本ちでずっと暮らすー!」
 耳元で喚き立てる声にリトアニア同様日本も混乱していた。感謝を込めて別れのハグかと思いきや先程眺めていた児童達のような駄々を捏ね始めたポーランドの心情が全く理解できなかったのだ。つい先ほどまで口をきいてもらえなかったというのに、俄かな変化に頭が追い付かない。
 「帰らんー!」
 やがて合間に嗚咽を繰り返しながらポーランドは顔を伏せて樹木のように立ったままの日本にしがみ付く格好で首を何度も振る。アメリカものろのろと様子を見に戻ってきたが呆れたように首を捻るだけで口を挿む様子はない。
 「すいません日本さん、ポーランドがまた我が侭を……」
 「ああ、いえ、平気ですよ。大人しい彼でも主張することがあるんですね」
 えっ? とリトアニアが聞き返して日本もつられてえっ? と返す。何拍か置いた後照れ笑いのような表情でリトアニアが「ポーランドの奴、人見知りが激しいので……大人しく見えたのはそのせいですよ」と言った。
 嫌われていたわけではなかったのか、鍵が嵌るように頭の中で合点がいって日本は数度ゆっくり瞬いた。同時にちりちりと胸が擽られるような気分がしてしがみ付かれながら小さく身を捩った。
 「ほら、ポーランドがそんな駄々捏ねてると子供たちまで……あぁ、皆泣いてるよ……もう……」
 ため息交じりのリトアニアの声の向こうで先程よりも随分大きくなった児童の泣き声が聞こえてくる。しかし依然として彼はわぁわぁと激しく泣いては日本から離れようとしない。
 だらんと垂れていた腕を上げてポーランドの背を擦る。いっそうちの子になっておしまいなさい、と言いかけて喉まで出掛かった言葉を飲み込む。犬や猫ならともかく、タラップ前で喚く児童の一人ならともかく、いくら情や愛着が湧いたといったところでそういう訳にはいかないのだ。
 「また今度遊びにおいでなさい、爺はいつでも歓迎しますので」
 他に諭す言葉も思いつかず口をついて出たのは孫をあやすような台詞で、一瞬違和感を覚えたが訂正はせずによしよしと背中を撫でた。その言葉にポーランドは反感を覚えるでもなくわっとまた派手に泣き始める。しかしもう駄々をこねる訳でもなくただ只管彼が落ち着くまでもらい泣きするのを我慢しながら金髪の孫を宥め続けた。哀愁漂う嗚咽を急かすように汽笛がまた2度鳴り響いた。
 大正10年の夏の初めだった。




アトガキ
これただの夏休み終わり帰りたくないと喚く孫と孫を諭す爺ちゃんの話やないか!
シベリア孤児救出事業についてはググって下さい。( ;∀;)イイハナシダナー
単に
波が人見知り→日(嫌われてんのかな…(´・ω・`))→波「帰りたないー!。゚(゚´Д`゚)゚。」→日「嫌われてなかった!(n‘∀‘)η」
つう一行で済む話を延々gdgd引き延ばしたものです。引き延ばしすぎた。

ご本家見直すと丁度この時期リトがアメリカに居る時期だったので当初予定になかった彼ですが書くことができました。
ちょっと最近文章殆ど書いてなかったのでリハビリがてら。数年間お蔵入りしてた話なので書けて良かったです。
日と波の初対面は多分日露戦争中の波の将軍が来て「うちと同盟組もうず! うちもロシア攻めるし!(゚∀゚)」て言ってたのが最初だと思うけど。
あとリトに対して日本は会うたびに「誰だっけ……(; ・`д・´)」てなってるんだよ。日本語便利すぎてもう覚える気がないよ。