Oh! Pretty Dog!

ふっさふさにしてやんよ!



 はたはたと隣ではたきで畳を叩くような音が先ほどから間断なく続いている。その上短く荒い息もプラスされ、視線が痛い。
 トルコは背を丸めたままゆっくり首を動かすと「伏せ」の格好を崩さない毛むくじゃらの動物と目が合った。アイコンタクトに成功したことに興奮してか、その毛玉のような生き物はさらに強くばしんばしんと同じく毛玉に包まれた尾で畳を叩きのんきに欠伸をして見せた。揃えて前に突き出した前足を小刻みに震わせて尚も期待の目で円らで大きな瞳は熱烈な視線でトルコを捉えて止まない。
 トルコは今、珍しいことに(というワケではないが、日本滞在時では割合は低い)スーツを着ていた。クリニングから引き取ってきたところのように糊をぱりっときかせた。おまけに黒の。反面、今隣で尻尾を千切れんばかりに振って自己主張する犬の色は茶色。黄みがかった薄色の毛をふさふさと揺らしている。
 なぜこんなところで、こうまで緊張せねばならないのだろう。トルコは季節に似合わず額に噴出す脂汗を手の甲で拭った。今にも犬は歓喜のあまりに飛び掛ってきてもおかしくない状況だ。本音を言えばじゃれたい。初めこそ不審者を見る目付きで吼えまくられ主人である日本に近づこうものなら噛み付かれかねない警戒レベルであったのに餌付けや敵ではないアピールや日本と仲良しアピールを重ねてきてやっと懐いてくれた可愛い犬だ。あのふさふさした胴体をわしゃわしゃと撫でまくりたい。しっぽをもふもふと触りたい。自らひっくり返っておなかを撫でろと要求された日にはたまらなく愛らしい。
 しかし、悲しいことに今はスーツ。着替えは手持ちにない。トルコ用の浴衣なるものを昔日本が用意してくれたがトルコにはどこにあるのかさっぱり見当がつかない。勝手に家主不在のところを箪笥や押入れを漁るわけにもいくまい。だからといって衝動にうち負けてそこのお犬様を膝に乗せたら大惨事が見えている。犬の毛。トルコはこれが怖かった。服についた毛はなかなかとれない上に黒には非常に目立つ。可愛い顔してなんて物を振りまいてくれるのだろうか。悪魔め。この悪魔! 心の中で罵ってみても依然わんころは嬉しそうにぱくりと開けた口から舌を垂らし暑苦しい息を繰り返している。
 ――お前さんの飼い主はいつ帰ってくるんかねぇ。
 犬公に聞いてみたところで返事は犬語。ワン! と力強く鳴いてくれたのはいいが全く理解できない。
 何故神は毎度毎度完璧なものに瑕をつけたがるのだろうか。薔薇に棘、猫に爪、犬の抜け毛。蛇に足をつけた昔の中国人と変わらないではないか。いやいや現実逃避をしている場合ではない。今はスーツを汚さずに切り抜ける策を考えるべきなのだ。神様スイマセン中国人と同じとか思ってスミマセン嘘です何か道を示して下さい。暫く祈ってみたが返ってきたのはやっぱり犬語だった。
 ――いいかぁ、スーツの一着や二着。
 ため息まじりに呟くと待ってましたとばかりに横からわんと聞こえる。いやタイミングがいいのはきっと偶然でさっきからキャンキャン吼える感覚が短くなっているのはワン公もしびれが切れてきた証拠だろう。ゆっくり上着を脱いで畳んだ。ズボンはもう犠牲になってもらうと決心したがせめて上着ぐらいは救出してやろう。
 ざ、と畳が背後で鳴る。先ほどより息が荒くなってる気がする。ああもう、かわいいな。ホント犬って。
 「よっしゃ! ふっさふさしやがってこんにゃろーめが! しゃーねーから遊んでやらァ!」
 前足を揃えて突き出して体を伸ばすと嬉しそうに尻尾を振って膝にのぼってきた。触るだけで手が体毛に埋まる。もこもこの毛皮を着やがって。わしゃわしゃと撫でると毛が逆立った。毛を逆立てたまま嬉しそうに顔を舐めてくる。獣臭い息が顔に当たる上に唾液のおかげでべとべとだが、不思議と不愉快な感じはしない。それどころかこの小さなもさ毛を全力で抱きしめたい。
 「舐めんじゃねぇやいばーろー! あぁーもうかっわいいよなぁお前さんはホント! 鼻が濡れてんじゃねーかよぉヒゲ引っ張んぞ、肉球ぷにぷにすんぞ!」
 上下させる前足を掴むと引き抜こうと体を引く。猫のそれよりも少しザラつく肉球を親指で押すと反射的に歯を立ててきた。小さいとはいえやはり肉食の動物らしく立派に白い牙が見えた。掠った程度なので痛くはないが手を離してやると今のことは瞬間的に忘れたらしく頭を押し付けるようにして擦りよってくる。ぐりぐりと胸が押されるのはあまり好い気はしないが犬が可愛いから許す。顔を撫でてやると鼻の頭が濡れていた。
 「くっそー犬畜生のくせに可愛いすぎんだろぉ。毛で膨張しやがって! かっわいくねー顔してやがるくせに可愛いよなぁお前さんは! ペットてのはどこまで飼い主に似るもんかねェ?」
 「あの……それは、はぁ、スイマセン」
 おや? 全く期待していなかった人間の言葉が返ってきてトルコは一瞬目を丸くして膝の上に居る雑種犬を見た。犬は何かに気付くと一目散にトルコの腕から這い出て走っていく。その先を目で追えば買い物帰りらしい家主が白いスーパーの袋を片手に帰宅を喜ぶ飼い犬の頭を撫でているところだった。
 トルコは固まった思考を無理矢理に稼動させてとりあえずおかえりなさい、とだけ言った。





アトガキ
( ゚∀゚)o彡゜イヌ!イヌ!
っていう話が書きたくて、とりあえず犬とじゃれるの好きそうなオッサンで書きました。
ちなみにこの犬は御本家の「アメリカ人が春大好きなわけ」に出てきた犬です。
犬可愛いよ犬(*´Д`)ハァハァ
試行錯誤でこんな形にしてみましたが、うーんどうだろう。こっちの方が読みやすいでしょうか…。