sing the song

小さな石が岩となって



 ※「人見知りの駄々」後日談です

 ドイツ・イタリアと同盟を結んでからというもの、日本がヨーロッパへ来る頻度は目に見えて高まった。会議に会談、ドイツ教官の訓練とユーラシア大陸を忙しなく何度も横断する。一人交通量の増える日本だが、文句の一つ溢さずに皆勤しているのは二人の大切な友人と会う日を楽しみにしているからである。そして明日から始まるドイツとの会談を控え、日本は近くの友人と会うために大使から車を借りた。
 イタリアのトスカーナ地方を思わせるのどかな風景を横目に通り過ぎ、ワルシャワの市街へ入る。石畳の車道を進んでいくと目的地に着いたので一度車内で地図を確認した。どうやら玄関近くに数台の車が停められているのを見ると客が来ているようだった。日本は着込んだコートのボタンを留めながら車を降りてしっかり施錠した。自分の車が通行の邪魔にならないことを確認だけして少しくすんだ黄褐色の建物に向き直る。ふっと息を吐いて辺りを見回すが周囲に人は見当たらなかった。彼らと会うのは二〇年ぶりだろうか。ドキドキと音を鳴らせ始めた心臓と勝手に緩む頬を戒めながらドアを開いた。シベリアからやってきた彼らは一年日本に住み、そして母国ポーランドへと帰って行った。船の前で大泣きしていた子供たちは今や立派な青年となりこの孤児院を建てたのだという。その成長を見るのが日本にとって最大の楽しみであった。
 「こんにちは、ポーランドさんはいらっしゃい……ます、か?」
 日本の声はホールに響く二人のがなり声のせいで誰の耳に届くこともなかったが、勢いのまま語尾だけ付け加えるように無意識に口から垂れ出た。
 玄関を開けた目の前で男が二人言い争っている。内容は早口すぎて日本には理解できない。一人はこちらを背にしており、もう一人は彼を睨みつけて肉食獣が牙を剥くような表情で顔に皺を寄せている。開いたドアに気付いて二人は同時に来訪者を見る。そして同時に「日本」と名前を呼んだ。
 「はいっ!」
 停止していた脳が急に揺さぶられた気がして日本は体を引きつらせて返事をした。見ればホールには彼ら以外にも軍服の者や私服の男(風貌から全員がヨーロッパ人だということだけはわかる)などが言い争いをしていた二人を中心に集まっている。その全員の視線が集まるのを感じて一種の恐怖心が芽生えた。しかし扉を開けたまままごまごとしている訳にもいかず、視線を感じながらも数歩進み出て知合いの許へと行く……残念なことに、それは中心だが。
 「どうした。何故ここにいる」
 声を掛けたのは背を向けていた長身の男で、日本の友人であるドイツだった。軍服を崩すことなく着こみ、お手本のような直立の姿勢で後ろでてを組んでいる。
 「えーと……今日はこちらに用事がありましてですね、……明日の予定のついでにと」
 表情なく見下ろされて威圧感を一方的に感じながら日本は首を掻いた。ただの客だった筈が今は尋問されている気分だ。
 日本の返答にドイツは視線を一瞬外して逡巡する様子を見せ、再度日本を見る。眼球のみの動きだというのに不必要な焦燥感が湧いてくる気がした。ドイツが口を開こうとしたが違う声に阻まれ機械的に口を閉じる。
 「俺と会う約束してたんよ! ここで!」
 「……そうなのか?」
 ポーランドを一瞥してドイツが問う。日本は素直に肯定して逆に何故ドイツがここにいるのか聞いた。
 「俺は当建物がレジスタンスの根拠地になっているとの通報を受けたのでな。監査に来たんだ」
 成程、とドイツ同様姿勢良く直立する軍人を見る。彼らはドイツの部下なのだろう、どことなくドイツ人のような気がしたが隣の私服のポーランド人と見分けはつかなかった。
 「そんな通報デマやし! ここはただの孤児院やし!」
 「だから先程から監査して何も出てこなければ立ち退くと」
 「お前ら子供の部屋から3歳児のお絵かきまで漁る気なんわかっとるし、そんなん許可できんし」
 それはそうだろう、彼の徹底主義的な性格からして浴槽の裏まできっちり調べるのはわかりきっている。それ故にポーランドは頑なに拒否し、ドイツはなるべく手荒な真似に出たくはないが監査の建前上動けない、そういった膠着状態に陥っているのだろう。
 「すまないな日本。わざわざ出向いてきたというのに……さっさと済ませる」
 「ちょっ、ドイツさん待って下さい!」
 どうやらドイツは日本の時間を割くことが宜しくないと判断してしまったようで、強引に一歩進み出てポーランドとの間合いを詰めた。その腕に咄嗟に縋りついてドイツを制止する。
 「ドイツさんの心配には及びません! この建物は日本大使館の保護下にあります!」
 唐突に口からでた言葉にドイツが驚いた。それを高らかに宣言した日本自身もまた驚いている。
 ドイツは足を止めると非常に怪訝な表情になり一度部下の方を見遣ってから日本へと視線を戻した。日本は目を逸らすように振りかえりポーランドの隣に立つ男を指さした。背の高い薄い水色の目をした男だった。
 「貴方、そこの方!」
 早口に男を呼びつけると彼は一歩進み出て日本をじっと見た。
 「こちら私の友人方に日本のお歌を歌って差し上げて下さい」


 椅子に深々と座り込んで日本は胸に溜まった不安を体外へ吐き出すように長い息を吐いた。背中は冷や汗で冷たくなり不愉快だったが次第に乾くだろうと服を脱ぐことはしなかった。
 今いる場所はホールから階段を上ってすぐの場所にある応接室で、ゆったりとしたソファとカップの底跡がついたテーブルがある薄明るい部屋だった。ドイツ達が去った後すぐここへ通され日本はポーランドの帰りを待っているところである。あの時、この孤児院が日本大使館の保護下にあることの証拠の提示を求められるのは当然だろうとドイツの視線から察知できた。日本の歌を聴かせることで強引に「日本の文化が教えられている証拠だ」と言い張ってみたが今更よくよく考えなおしてみればそれで通る筈がない。それでもドイツがただ頷いて部下を連れて帰ってくれたのは同盟国の手前というものだろう。今度彼の好物を作って差し入れしよう、日本は再度深いため息をついた。
 「掃除大体終わったしー」
 にこにこと笑顔を見せながらポーランドが部屋に戻ってきた。日本の正面に腰かけ上機嫌に足を組む。
 「日本、今日はマジ助かったし! マジで!」
 「いえいえ、申し訳ないことに出任せとハッタリでしかなかったですし……院長さん……彼と、その他の子達まで君が代や愛国行進曲をまだ覚えて下さっていると先にお手紙で聞いていてよかったです。本当に大きく育ちましたね」
 「そうなんよ!」
 ぐっと身を乗り出して興奮気味にポーランドはテーブルを何度か叩いた。
 「日本に居った時からもう二〇年も経ってるてことあの子ら見たら俺でも実感するし。それでもあの子ら日本でのこと全然忘れてないんよ。嬉しそうに話してくれんの」
 嬉しそうに話すポーランドに日本は釣られて相好を崩した。日本の家で過ごした頃の怯えたような、探るような目ではなく友人として接してくれているのだ。柴犬全般に言えるがぽち君も初め日本の家にきた時は怖がって犬小屋から出てこなかったものだ。少し似ているかもしれない。
 「あ、今さっきの子らで日本歓迎の用意してるんよ。ほんまは先にする予定やったけどドイツが邪魔したし。もうちょい待ってくれん?」
 「勿論構いませんよ」
 そう言うとポーランドはやはりどこかぽち君を思わせるような笑顔で笑ってみせた。



アトガキ
ポーランドと日本の別の話が見たい、というお言葉を頂いたのでシベリア孤児救出事業後日談を一つ。お待たせしてしまいすみませんでした!
WWU中に起こったことですが、日本大使館は陰に陽にこの孤児院に目をかけていたらしく何かと援助をしたりレジスタンスの疑いを掛けられては擁護していたそうです。実際にはレジスタンスの本拠地となっていたようですが、この日本大使館頑張りすぎである。

最近犬の本を読んでいたら「柴犬の性格は怖がりで人見知りするけど一度慣れた相手にはベタベタ甘えたがる」と見てお前はポーランドかとお茶噴きました。獣医さん曰く「日本犬の血が入ってる子は大体臆病なんよね」とのこと。マジかわいい。