De omnibus dubitandum

懐疑の闇で




 待ち人の名前が書かれたプラカードを持つ人波の脇にギリシャはぼんやり立ちながら言い知れない焦燥感に駆られていた。これは物心がついた頃からギリシャの傍らに寄り添い、そしてギリシャの精神を苛んできた。歴代の哲学者達が抱えた悩みと同種のものかもしれない底の知れない奈落の闇をのぞき続けるようなざわつく懸念、要するに"不安"なのだ。暗い夜の海のような不安がギリシャの横で大口を開けている。
 だらんと下げていた左手の平を見る。指を何度か開閉してみるがこの肉体と感覚が幻覚ではないと言い切ることができない。その昔自らの存在すら偽であると信じてしまった哲人はスウェーデンで客死したが、その早すぎる死の前に有名な言葉と共に一つの答えを導き出していた。「一切を疑うべし」を徹底させてしまった結果が彼なのだろう、しかしその答にはギリシャはまだ納得できておらず、未だに自身すら疑っている。
 それ故に、彼は自己を含める世界の全てが偽であるのではないかと常に悩んでいる。目に見えるものは幻覚で、聞こえるものは幻聴で、触れるものは錯覚なのだと考えてしまうのだ。止め処なくこの足で踏んでいる地が真であると証明しようと試みるも、絶対確実なものとして証明するには何かが足りない。彼の偉大な古代哲学者にとってはイデアであり、最近の哲学の流れでは自然科学が絶対のものとして据え置かれるがどれも決定打にならない。
 神の証明、自己の証明、感覚の証明、魂の証明……、馬車は車となり、カタパルトはミサイルへと変化したがほんの単純な疑問は変わらず依然として古代から現在に渡りそこに残り続けている。長い歴史で長く思考してきた自分も人間も証明できずに居るのは精神では究明したいと思いながら同時に人間のそうした本質的なものを暴かれるのを恐れているのかもしれない。
 わっと歓声を挙げて隣で"オスマン・ベイ"と書かれたプレートを持つ女性が、駆け寄ってきたロマンスグレーのアラブ系男性に抱きついた。今聞こえた声も、見えている二人も真なのだろうか。当たり前のように浮かんだ疑問に頭を捻っているとすぐ近くの声に思考を遮られた。「お待たせ致しました、ギリシャさん」振り向いて誰もいなければ神の声か、幻聴か、そもそも声というものは空気中に伝わる音の一種で神の声ということは神が空気を揺らす、ということだろうか。振り向くと黒いスーツケースを片手に先ほどのアラブ人の頭髪のようなグレー色をしたキャスケットを被って、日本らしき人物が見上げていた。
 「ようこそ」
 返事をすると彼は笑顔を見せた。彼は事実日本なのだろうか、幻覚……という可能性を考えて指先で頬に触れてみると柔らかい感覚がした。一瞬の安堵と共に胸中にまた不安が芽を吹き出す。感触すら信じるには足らない。しかし目の前にいて、そして触れられる日本を洞窟に映る影だと断ずるには余りに悲しくて証明を打ち切った。偽だと結論付けられてしまうよりは真偽不明でいい。
 「どうかしましたか?」
 「……存在と、カタパルトと」
 不思議そうに見上げてくる日本の質問に答えようと思考を整理する。今簡潔に話すにはスコラ的な部分を省く必要があるだろう。少しだけ考えて短く答えた。
 「人間の本質について、あと色々考えてた」
 「難しいですね」
 日本は一瞬逡巡する素振りを見せたがすぐに諦めたらしく眉を寄せたまま首を左右に振った。
 ギリシャは日本の軽いスーツケースを片手で持ち上げ踵を返す。日本が自分が持つと主張しながら腕を伸ばしたがふいっと腕を回して日本の手から遠ざけて歩き出す。駐車場に停めてある車までそのスーツケースはギリシャの手にあった。

 哲学家というものは懐疑的な生物らしい。
 そして哲学好きを自称するギリシャもその定義に漏れないということを知ったのはつい最近のことである。
 質問に対するレスポンスが通常の人より倍遅れるのも彼のゆったりとした性格からくるものではなく、その徹底的な懐疑論者が顔を出すからだという。彼の中では先ず「今聞こえた問いかけ・声は幻聴ではなく実在するものなのか」という論議から入る。そして一頻り脳内会議を終え、「今の日本の声は真である」と結論付けられて始めて質問に対する返答をするものだから、彼との会話の合間には静寂が頻繁に落ちてくる。(日本は然して気にしていなかったが、トルコやアメリカなどの先に答えが欲しい性格の者などからすれば非道くイライラするものらしい)降りるのは天使のお通りというよりも哲人のお通りだ。そしてそういった性質を有していることを本人は自覚しているのに自らは相手に伝えないものだから誤解を生むことも少なくはない。日本が知ったのも偶然のようなもので、先日会話の合間合間に考える素振りを見せるギリシャを不思議に思って何とはなしに聞いてみたからだ。
 それ故に彼の話し方も同じくのんびり屋たる所以かと思えばそうではなく頭の八割が哲学方面へフル回転している為、十考えた内の一を拾い拾い話しているにすぎない。(初めこそはその話しぶりから吃音かとも思ったのだがギリシャはコミュニケーションに緊張を覚える性質ではない)どちらにせよ誤解を得やすい体質であるが、精神疾患がそうであるように"当の本人が現状に対して困っていない限り"において問題ではないという。だから彼は自己を矯正しようなどと思わないし日本も不要なお節介を焼くつもりはない。日本は懐疑性を失ったギリシャを想像することができなかった。結果的に訪れるゆるゆるとした空気を、一種縁側で春の日差しを浴びながら転寝をするような時と似た安らぎと感じていた。彼のややこしい懐疑性は立派にアイデンティティであり、安堵を生み出している。だからギリシャは常に疑心に包まれいつまでも世界や己の存在を疑い続けている。
 こう考えると随分後ろ向きな関係だと日本は隣で丸くなる白猫を眺めながら鼻で笑った。哲学者の思考癖、とたまに揶揄されるが哲人でもない自分はどうしてこうもぐるぐる思考しているのか。
 「ん……ねこ、邪魔……」
 風呂上りのギリシャがローテーブルにコーヒーカップを二つ置いて、ソファを陣取る白猫の尻を指先で叩く。猫はチラとギリシャの姿を迷惑そうに流し見たが無視してごろごろと頭の位置を変えるだけに留まった。
 「……邪魔……」
 困ったように猫の尻を叩き続けながら眉尻を下げてギリシャが呟く。自分の場所を空けようかと日本は提案したが断られた。
 「日本の隣に座りたいから……日本がそこどいたら意味……ない」
 肯定する訳にも否定する訳にもいかず曖昧にはぁと言うとギリシャは猫の尻の重さに降参したらしくのろのろと猫の隣、日本から一席離れた向こうに座った。
 ちらと視線をギリシャに遣ると彼はぼんやり眠たそうな目を壁のタペストリーに向けながら思索に耽っている様子だった。目に入ったタペストリーについて考えているのかもしれないし、もしかしたら全く関係のないことについて思いを巡らせているのかもしれない。結局は他人の頭の中を覗くことなどできないのだ、だからギリシャが感じているであろう不安や世界に対する猜疑心とその苦しさが理解できないでいる……それはもしかしたら幸運なのかもしれない。
 「日本は……」
 ギリシャはいつの間にかタペストリーに集中するのを止め、日本を見ていた。日本が応える前に二人の間に鎮座していた猫がしなやかにソファから退場したのでギリシャはずりずりとソファを移動して猫に取って代わった。そして腕を回し日本の胴体に寄りかかるような体勢で体ごと抱きつく。彼のスキンシップ好きはラテン系故のものではなく、その存在を確かめたくて対象に触れるのだらしい。それを聞いて以降日本はギリシャからのハグを避け難くなっていた。
 「明日は、日本の行きたい所……行こう。観光したい? ……こないだ見つけた、母さんの遺跡……も、いい場所……猫がいっぱいの広場とか……夜に、浜辺で星を見るのも凄く……楽しい」
 「たくさんあって迷いますね」
 肩が重い。寄りかかってくるギリシャを何とか支えながら日本は楽しい楽しいギリシャ観光を想像して目を細めた。彼は複雑な精神構造のもとこれからも不安を抱えながら世界を疑い続けるのだろうし誰もそれを止めはしないだろう。赤ん坊が母親に甘えるような仕草も彼の本意は別にあり、そして疑心に満ちた故の行動であることを忘れてはいけない。
 「じゃぁ、全部。……全部、案内する」
 テーブルに置かれてから放置されているコーヒーは、このまま触られることなく冷めていくだろう。日本は小さく笑って楽しみです、と囁いた。





アトガキ
一萬の考えるギリシャのイメージ:哲学家(懐疑的・悲嘆的)+芸術家肌(常人に理解できない)なせいでなかなかパーンしてる感じです。
希日は見た目ほのぼのしているけれども精神的にはうす暗いイメージが離れません。希は「目の前の日本が真であって欲しい」と願いながら触ったりして存在を確かめるもののやっぱり証明できないから不安で、日本は日本でその希の懐疑性に安心しながらも結局もやもや不安というね。何だよめんどくせぇなこいつら。
因みに土日は「こまけぇこたぁいいんだよ!」で終わっちゃうから欝なんて出てこねーよ!

※1+2+3+4+5=15について
希「……2……足す、……5は、15……」(←断片的すぎる)
日「(なんで私がそんなことを説明しなきゃならないん(ry)1+2+3+4+5=15です」(←感情を言わない)
土「答は15でぇ」(←先に答を言っちゃう)
埃「そんなことより壷をどうぞ」(←壷)
なんかこんなイメージ。