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心の休まる温度


 ※『心の休まる場所』に少しリンク

 トルコは稀に日本に対し裸での添い寝を懇願することがある。
 不埒なことは一切しない、と固く誓いを立て下着姿で抱き合って眠る。誓いの通りにただただ布団の中抱きしめて眠るだけのことだというのに彼は一番安心するのだと言う。初めこそトルコ自身も己にはそういった性癖があったのかと思案していたがいくら頭を捻っても深く記憶の中を探ってもベッドを共にした女性にこんな初心なことを要求した覚えはない。ただ抱きしめた日本の体温を肌で感じられることが好きだった。腕の中の者が生あるものだと確信できる温度、その脈を確かめながら熱を求めて肌に触れる。
 「温いなぁ……アンタ」
 「あの……暖をとりたいなら毛布を掛けた方がいいのでは」
 「それじゃぁ意味が無ぇ」
 少し困ったような瞳で見上げる日本の髪を撫でた。こうして寝るのは初めてでこそないが日本はいつも困惑の表情を見せる。トルコの意図もその意味も全く理解できないようだった。それでも頼み込んで懇願して、最後には折れる。
 抱きしめれば心臓の音は指先の振動で、呼吸の音は息ではなく肺の動きとして耳に感じられた。触れる箇所の表面から溶け出す体温、微かに指先が動く時の筋肉、仄かに香る潮の匂い。独り寝では得られない心地の良いまどろみに浸されていく。

 潮の音と波の騒めく音がする。それは徐々に舷を激しく叩きつける音に変わった。耳が痛くなるような風と劈く雷、足場が揺れ黒い海へと投げ出される。その瞬間に艦内で爆発が起こるのを落下しながら見る。激しい閃光は赤色に変わり炎となって甲板を揺らめく。海面に叩きつけられて必死に顔を出す。無我夢中で仮面をかなぐり捨てた。爆発の木片が飛んできて、水面を叩いている。己のすぐ横に飛び込んだ上司と目が合った。きっちり軍服を着込んだ彼は激しい水飛沫を挙げて着水した後、自らの意思であるように暗い海中へと沈んでいった。
 気がつけばトルコは叫んでいた。叫ぶ、というよりも叫ぼうとしていたという方が正しい。不思議と声は出ていない。必死に腹の底から後悔や悲痛を挙げようとしているのに己の声は耳まで届かない。それどころか体も動かなかった。ただ非道く冷えている。寒さに末端が千切られていく感覚がする。もう海の中ではなかった。波に揺られる感触だけは引き摺ってはいるが滑らかな寝具の上に寝かされている。蝋燭に照らされた室内はぼんやりしていた。
 「死んではなりません」
 急に視界に入ってきた男がトルコに言った。
 「このような遠つ国で死ぬことはなりません」
 日本だった。心許ない灯りに照らされた日本の黒い瞳は小さな朱色を映している。真正面にトルコを捉え真剣な表情で居た。
 何を言っているのか、そう尋ねようとしても喉が引き攣るだけで声を出すことはできなかった。肺が胸中で張り付いているように息も苦しい。やっとのことで微かに目蓋だけ開いていられた。身じろぎすらできず、筋肉や関節や骨の至るところから送られてくる痛みだけが体中を巡っている。
 「あの嵐の中ここまで辿りついたのです、異国のお方。貴方は生き延びるのです」
 動けないトルコに向かって日本は何度も死なせないと言う。必死な瞳で、強張ったような真剣な表情で、しかしそれは逆にトルコが死に体であることを如実に表していた。日本が生かそう生かそうとする程トルコは己の弱体ぶりを実感した。狭い視界の向こうで蝋燭の明かりが揺らめいている。
 「私はまだ貴方のお名前も知らないのです。だから、生き延びて、私にその名を教えてください」
 日本は呪文のような言葉をトルコに掛けながらその粗末な服を脱ぎ始めた。恥じらいなどはなく逆に一秒でも惜しいというように手早く脱いでいく。下帯だけ残してその肌を晒す。男から毛布を受け取って、日本はトルコの隣に寝転ぶ。毛布を肩までかかるように調節して力なく垂れる腕を持ち上げた。その腕を首に回し日本は逆に自分の腕をトルコの背中へと回す。
 彼はトルコの体幹に抱きついて、自分の体温を分け与えていた。

 体が宙を降下する感覚にトルコは目を開けた。暗い部屋で布団に入っている。痛みは無く体も動かせる。何より現実感を持ったシーツの感触と柔らかな体温が夢の中でないことを確信させた。
 日本が腕の中で眠っている。あの時、あの日、名も正体もわからぬ者相手に必死に温度を与えてくれたときと同じ格好で。
 考えてみれば日本がトルコを認識できていなかったのは当たり前のことで、初対面時でも皇居での会食時でも仮面と肌を隠した格好をしていたので日本はトルコの顔を、それどころか体格や肌の色すら知らなかった。その上海水を飲んで体温を水に奪われ疲弊しきっていたあの瞬間、トルコは声を出すことすらままならなかったのだ。
 どこか清廉な白い肌は白磁の置物を想起させる。床に落とせば割れてしまいそうで危うい儚さを見た目に持っているというのに実際彼なら落とされとしても割れやしないのだろう。その強かさは美しさを際立たせ、その美しさは強かさを隠している。考えれば考える程にこの奇特なお人好しが愛しくなってくるのだからもうこれは蛇の毒、否一瞬に殺してはくれないのだからそれ以上に性質の悪いものだろう。一生をかけて侵蝕する一種の呪いに近い。その上この呪いを幸福と感じるのだからもう末期なのだろう。
 「眠れませんか?」
 急に開いた目と視線がかち合う。狸寝入りだったか、とにかく日本は眠っていなかったようだ。
 「いいや、ちぃと昔のこと思い出してただけでぇ」
 「そうですか」
 問いかけはなく日本は居心地悪そうに目を伏せる。困らせていると自覚はしているが懐かしい温もりを自ら手放すことはできなかった。
 憧憬と敬愛と眷恋の心を1つにしたこの感情を何と呼ぶのか。愛よりも深い恋よりも純然たるこの情の名前を今まで一度も聞いたことは無い。おやすみ愛しい人、そう呟くも声は出ていなかった。





アトガキ
結局トルコもギリシャも似たもの同士ということ。
土日希の三人はエ号の頃からこんな風にぐるぐる回り続けると良いです。

土→→→→→→→→→→→→→地球が滅んでも愛してる!→→→→→→→→→→→→→→日が好きです。
ヘタリアの中で多分トルコの愛情が一番重いんだぜ。