愛しい彼の小さな体に腕を回しても不安が拭えない。胸の中で広がっていく掴み所のない感情がゆったり首をもたげていた。
プラトニック哲学
イデア論、というものについて本を読んだのは遥か昔のことだった。母の生きた時代に活躍した今尚名を馳せる哲学家が考え出した世界観だ。
勿論彼に会ったことは一度もない。そもそもその時自分は生まれてもいなかったのだから当たり前だろう。
そんな会ったこともない人間が書いた一書物の内容など何故今頃になって思い出したのか。周りを見てももうすでに見慣れてしまったタタミやフスマがあるぐらいで彼の同性愛者を想起させるものなど何もない。
「ギリシャさん」
どうかしましたか、と下から声がする。
座ったままの日本の黒い瞳が不思議そうにこちらを見上げていた。
そういえばイデア論とは結局イデアという理想がイデア界という別の次元にあり、その理想を投影した影が現実界のものだといっていた。
例えるならば今縁側で上機嫌に尻尾を揺らしながらあくびをしている猫は『猫のイデア』という別次元にいる完璧な猫に似ているだけで厳密には猫ではないというのだ。
それならば、今目の前にいる日本はどうなのだろう。
今こうして見ることができ、触れることが可能な日本はやはり現実界のものでそれならばどこか別の世界に『完璧な日本』というイデアが存在するのだろうか。
目の前の彼を好きだと思っている自分はプラトンがイデアを説明するために作られた『洞窟の比喩』でいうところの壁に映る影を真実と思い込む囚人にすぎないのだろうか。
そして真実の彼を知った時には同じように影を捨ててしまうのだろうか。
非道く哀しい気がする。
もしイデアの日本を愛するようになればきっと彼は哀しむだろう。それは嫌だ。
目の前彼がたとい影であったとしても俺は
クシュン
「ギリシャさん?」
俄かに横を向いたギリシャが鼻を擦っているのが見えた。彼がくしゃみをしたであろうことは聞かずともわかる。
「お寒いですか?」
「ううん」
大丈夫、と呟いてギリシャは再度日本を抱え込んだ。
密着されるのは身動きはとりづらいし妙に緊張するしでどうにも慣れないのだが既に何度も小言を言った結果なのだ、今更言ったとしても同じだろう。
そもそも会話の途中でいきなり抱きついてきたかと思えば急に会話の返答までなくなり呆然とどこかよくわからないところを眺め始めたのだ。日本の言うことを聞いていたかすら疑問だ。
今までの経験からギリシャは稀に意識だけがどこかへすっ飛ぶことがあるのは既知のことであった。何か考えているのか考えていないのか非常に判じ難い表情でどこか遠い目をする。寧ろ目を開けながら眠っているのかもしれない。
「ギリシャさん、お考えごとですか?」
「うーん……」
ギリシャは生来のゆったりとした口調で暫し唸った後、
「忘れた…………猫、かわいい。……日本も」
日本の理解範囲を遥かに超越した結論を出した。
アトガキ
ギリシャ=哲学好き を無理矢理くっつけてみた。 哲学ワカンネ_| ̄|〇
くしゃみしたら何考えてたか吹っ飛ぶギリシャさんかわいい。