「アアアァァァァァあああああああ!!!!!」
 ガシャンと音をたてて目の前のガラス細工が砕ける。時計が中身を飛び散らせて絨毯の上を転がる。
 雄叫びにも似た、喉を潰さんばかりの大声を張り上げながらトルコは自室の調度品という調度品を粉々に破壊していた。


 中立と宣戦布告



 考えるという行為を一片でも消し去りたかった。
 考えればきっと後悔の念が押し寄せる。考えればきっと胸につまった何かで死にそうなほど泣き続ける。
 お気に入りだった置き時計も、豪奢な飾り立ての鏡も、皆床に叩きつける。
 足を踏み出す度に破片やネジを踏みつける。敵からの襲撃にでもあった後のように部屋の惨状は常軌を逸していた。
 悪態を吐きながら壁を殴り、足下の塵共を蹴る。酸素を欲した肺が跳ねる心臓にあわせて拡縮を繰り返していた。
 真冬にも関わらず流れる汗を袖口で拭い取る。密閉した部屋だから暑いのか。
 そうか、ならば窓を割ってしまえばいい。
 「うるさい」
 己の鼓動に消えてしまいそうな静かな声だったが、それでもはっきりトルコの耳に届いた。
 そのままドアの方向を睨みつけると肩から軍服を羽織ったギリシャが迷惑そうに眉根を寄せ壁に凭れていた。
 「消えろくそガキ!」
 トルコはギリシャと昔から折り合いが悪い。お互いぶん殴り、反撃しを繰り返し今に至る。
 何よりその性格が自分には合わなかった。ギリシャは昔からいくら威圧的に怒鳴ろうが恫喝しようが顔色一つ変えずため息をつくのだ。
 案の定、今日もため息をひとつついただけでその場から動こうとしないギリシャにどんどん怒りの矛先が向く。
 俺を笑いにきたのか、憐れみにきたのか、とにかくその存在が気に入らない。
 「俺は今日機嫌が悪ぃんだ。ブン殴られたくなきゃあとっととどっか行けや」
 忠告ができるだけ、まだ自分は冷静だと思う。今すぐにでも蹴り飛ばしたい衝動を抑える。
 「……今日、」
 人の話を聞かないのも昔からだ。勝手に話し始めるギリシャに頭の中で何かがキレた。
 大股で部屋を横切り、ギリシャの前まで来る。忠告を無視するこいつが悪い。殴る。
 「宣戦布告したらしいな」
 振上げた拳が勢いを失くす。睨むわけでもない、ただ観察するような翠の目が自分を見ていた。
 「……ドイツと、日本に」
 「うるせぇ!」
 一度勢いを失った拳に筋力に任せてもう一度勢いをつける。ごつ、と骨の当たる音がしてギリシャがよろける。
 体勢を戻して振り返るギリシャの頬は赤く腫れていた。
 その襟元を掴んで引き寄せる。ギリシャは渋面をつくるだけだった。
 「何が言いたい、あぁ? 俺が西洋の奴らに負けたってほくそ笑みたいのか? 俺が日本の敵になったことがそんなに嬉しいか? 俺が! 苦しんでるさまぁ、そんなに見てぇか!」
 「がなるな……耳が痛い」
 「ッ!」
 頭の中の血管がどくどくと鳴り響く。
 人は無意識になれば自分でも予測のつかない行動にでることは聞いていたが、自分は予想以上に怒りに支配されているらしい。
 右手はギリシャの顔面を掴み、その手で隣人の頭を壁にうちつけていた。
 魔が差すということはこういうことを言うのだろう。今近くに武器でもあろうものなら目の前の男を殺していたに違いない。
 「やつあたり……」
 ダメージがあるのかないのか、その無表情に近い顔からは判断がつかない。ギリシャはそのまま抑揚の乏しい声で続ける。
 「俺だってイライラしてるのは同じ……俺の上司も、そのうち日本に宣戦布告するって言ってたし」
 「俺んとこはテメェと違ぇ!」
 ざらついた空気が肺に入り込む。心臓が叫び声をあげているようだった。心臓に合せて体中がドクドクと五月蝿く脈を打つ。
 「イギリスの野郎が何度言ってきても中立を守った! 今回のことは国民も大反対した。俺の上司も断腸の想いで宣告文を作った!」
 無意識に悪態が口から零れる。胸の中で疼いていた感情が容積をどんどんと増やしていく。
 「許さねぇ! ちくしょう、許さねぇ!」
 必死に歯を噛んで溢れそうになる心を抑える。頭が痛い。
 「誰を……誰を、許さないんだ?」
 質問を理解するのに一瞬もかからなかった。
 それでも一瞬で答えることができるほど冷静でもない。
 以前から中立破棄を勧告してきていたイギリスか、圧力をかけてきたアメリカか、目の前にいるギリシャか、

 圧力に屈して恩人を敵にまわした自分か。

 「八つ当たりは……迷惑だ。ただ、大義名分も要らずにお前をブン殴っていいなら、今だけ付き合ってやる」
 「サンドバックを自ら申し出てくれるたぁ有り難ぇな。ギリシャ死ね!」
 「死ねトルコ」
 とにかく何でもいい。考えるという行為をせずに済むなら何でもいい。
 鳩尾に蹴りが入るのを見ながら思った。








アトガキ
現代トルコさんが出たらちょこちょこ修正しようと思います。
1945年までずっと中立破棄に首を縦に振らなかったトルコさんですが結局は英米の圧力に宣戦布告を出すことに。
でもそれも文面上だけで実質は中立を守り続けたトルコさん。かっこいい、かっこいいよホント。
でもいざ宣戦布告する段になると超荒れそうだなーと妄想。