傲慢と憤懣


 厳しい冬が訪れていた。
 ヒーターのきいた部屋は調度品も構造も西洋風に統一されていて、その部屋の主も同じように西洋風――もとい、同じ島国の同盟国を真似た服装でソファに座っていた。ぱりっとした、入学式の子供に親が着させるような新品同様のスーツは寸分たりと彼には似合っていない。今まで着物姿を見慣れていたせいかお仕着せの洋服がみすぼらしく見える程に違和感がある。洋服だけではない、部屋そのものが無理をしているような、もしくはこの部屋の主だけがこの空間での異分子のような錯覚すら湧いてくる。
 外務省の一室に呼び出されたロシアは緩慢な動作で帽子を掛け、マフラーを外しコートを脱ぎ……スローモーションを演技するパントマイム師のようにゆっくりと外套を脱いだ。一瞬靴も脱ぎかけて思いとどまる。今まで付き合ってきた和室ではないのだから、靴は履いたまま。外装の一切は部下に渡しロシアはソファに座った。艶のある革がぎゅっと鳴る。
 日本はぴんと背を伸ばし同じように革のソファに腰掛けている。ロシアがソファのスプリングを押しつぶしているのに対し、日本は寧ろスプリングに押し返されているように殆どソファに沈んでいない。もしかしたらコレなら体重を消す術でももっているかもしれない。ロシアは頭の端で思って、消去した。
 「何の用?」
 部下達が部屋を出て行ったのを横目で見遣る。それを待ち受けていたかのように日本は薄く目を開いた。その伏せられた黒い瞳の先は平たい木箱に向けられている。蓋には白い紙が貼られているが、達筆すぎて文字は読めない。そもそもロシアは漢字自体読めない。
 「僕と君、このまえ絶交したんだよね? いいの? お話して」
 絶交、もとい国交断絶は4日前今日と同じように日本に呼び出され突然言い渡された。その時は思わず「戦争するの?」と聞いてしまったが今更思えば、事実上の宣戦布告に等しいだろう。それなら察するに、木箱の文字は読めずとも中身は検討がつく。宣戦布告文書、彼の上司により詔書に違いない。
 日本は動かなかった。粘菌を観察する学者のような目付きで木箱を見つめている。やがて顔を上げると、絶交してから初めてロシアを見た。
 「あなたとの戦争は已むなしとの詔が下されました」
 「だろうね」
 実質のところ、既に2日前から交戦状態にあるのだ。予測できない方がバカらしい。奇襲されたときは驚いたものだが――驚きというのも、日本がまさか戦争を挑んでくるとは2日前までは予想外だったからだ。国力や軍事力の差を考えても潰してくれと言っているようなもの――戦争というものは、奇襲で始まることは多い。皇帝もやっと日本との戦争に決心した。
 「まさかとは思うけど、勝てると思ってるの?」
 「負けるための戦はしない主義です」
 「じゃぁ、引き分けで和平講和狙い? 僕がそんなの応じるって思ってるの?」
 「まさか。そんなこと夢にも思ったことがありませんよ」
 「そう、じゃぁ勝つつもり? そうなんだね。僕に勝つつもりなんだね。おこがましい」
 口早にまくしたてると、日本が初めて表情を見せた。それは今までで何度も何度も彼にさせてきた顔だ。彼の小さな目の中で僅かに瞳孔が開き頬を固くさせ、唇をきゅっと結ぶ……純真な子供が初めて憎しみを覚えた時の表情だった。
 「おこがましいね。極東の一地方でしかない君が、あぁ、今はまだ国だったね。せいぜい数年前にやっと憲法を作って僕たち列強の後を猿マネしながらちまちまとついてくるしかない弱小国の君が僕に、勝つつもりなんだ。その傲慢な考え改めさせてあげる」
 「傲慢はどっちですか」
 「へぇ?」
 日本の手が怒りからか、武者震いか、単なる怯えからか、かたかたと震えていた。
 彼は黒い目でロシアを見上げた。ロシアは俄かに体の内側にある湖面に何らかの屍骸が浮かび上がるのを感じた。静かな湖に水音が跳ねる。ロシアは自分で今まで思っていた以上に彼を欲していたことを実感した。日本の目はそれを知っている――その黒の大部分は憤懣がみなぎりキリキリと音をたてていた。
 「奢っているのは貴方の方だと言っている。侮辱するなら骨を砕くぞ!」
 傷負いの獣が興奮している様によく似ていた。ロシアは目を細め冷静に判断する。ポーカーフェイスと定評のある彼の顔は怒りのせいで鼻の上に皺が寄り、僅かに開いた唇の間からは小さな歯は今にも喰らいつきそうなのを押し止めるように軋んでいる。ロシアは野原に打ち伏せた野うさぎの死骸を見たような貴婦人のように顔をしかめ、ご馳走を目の前にした肉食獣のようにつばを飲み込んだ。
 「普段の敬語を忘れるほどに僕が嫌いなんだね」
 大仰に立ち上がると、木箱に影ができた。日本は未だにロシアを睨んでいる。
 「世界の憲兵たる力を見せ付けるにもいい機会だしさ、そんなに嫌われてるなら僕の良心も痛まずに済むよ」
 日本を見下ろしながらロシアが言う。
 「せいぜい頑張ってね」
 今にも爆発しそうな爆弾をつついて遊ぶ子供はこんな気持ちなのかもしれない。胸の内で血の流れが速まった気がしてロシアは笑顔を作った。








アトガキ
本来「侮辱すると骨を砕くぞ」っていうのは世界的に有名なアドミラルである彼が日本人であること対してからかってきたイギリス人に向って放った言葉です。ホントこの人はかっこよすぎだろう……!!
某さんに公文書をネットで見れるサイトを教えて貰って宣戦布告の詔書とか見れるようになりましたが、大方の文書は走り書きか達筆すぎて読めませんwww
聞いたところ、この時代の戦争は奇襲→宣戦布告っていうのが普通だったようです。露土戦争でもロシアから奇襲して戦争突入、なんてやってましたし。世相を見ながら歴史を見るってなかなか難しいですね。