by agreement

戦争の外側で



 チーク材のガラス戸を鼻歌交じりに開いたフランスは、室内を見渡しその中央で黙々と刺繍を続ける人物を見て不愉快になった。思わず「うわ」と声が出る。彼は非常にイライラした様子で(趣味というよりはストレス性による行動であり、彼は苛立つと刺繍を始める癖がある)剣幕に舌打ちをしながらチクチクとバラの図柄に糸を通していた。その女のようなちまちましたイギリスの姿を見る度にフランスの中で嫌悪感が湧いてくるのを感じる。そのままドアを閉めたい欲望を何とか抑えながらジャコビアンに没頭する侵入者に声を掛けた。
 「お前の家は隣だろ、お間違えだよイギリス君」
 「こんな装飾だらけの息苦しい家と自分家間違えるかよ」
 振り向いたイギリスの顔は悲惨なもので、目の下には真っ黒なクマを作り肌は乾燥し不健康そうに血色を失っていた。フランスはその相貌に一瞬息を呑んだが心の中でざまぁみろ、と呟く。
 「じゃぁさっさと用事だけ済ませていけよ」
 後ろ手にドアをバタンと閉めて戸にもたれかかる。
 聞きはしたが、フランスはイギリスの用事なるものに見当がついている。先日スペインが同じように自宅で待ち伏せされ無茶な要求をされたと憤っていたのだ。
 「おまえの全領土でのバルチック艦隊寄港と補給の全てを拒否しろ。中立国ならそうすべきだ」
 そらきた、フランスはため息を吐く。スペインに聞いていたものと同じだ。日露戦争が始まってからというものイギリスの力の入れようは初めこそ傍観姿勢をポーズだけでもとっていたがドッガー・バンク事件が起こってからはフランスの調停により事件を治めたものの、ロシアへの憎悪で形振り構わなくなっている。現に中立だと一枚目の舌で嘯いていながら同じ中立国を二枚目の舌で脅すのだから性質が悪く、そして必死だ。
 「俺、こう見えてもロシアの同盟国なんだけど」
 「寄港を認めれば即ち参戦したと見做し我が軍は全力でお前を攻撃する」
 戦争までチラつかせてきやがった、その顔面を渾身の力で殴りつけたい程に腹が立った。しかし同じようにイギリスの目も血走り僅かに瞳孔も開いており、もはや冗談ではないとわかっていた。本気で参戦に踏み切る覚悟を固めてきているのだ。
 フランスはゆっくりと歩き出しイギリスが座るソファの横を通り過ぎる。先月貼り替えたばかりの新しい、滲み一つとないカーペットに目を落としながらオーク材のデスクに着く。そら豆のような丸い形のデスクはアンティークショップでその独特のフォルムに一目惚れして購入したものだ。机上に散乱している書類に触る気にもならずフランスは仰け反るようにして背凭れに体重を預けた。
 イギリスが相当頭に血が上らせているのは火を見るよりも明らかで、戦争も持さない構えで強硬な圧力・干渉を与えにわざわざ来ている。だがイギリスとはまだ"良好"な関係を保たねばならない。かといってイギリスの要求を呑むということは同盟国ロシアに背くことと同義であり万が一にも同盟が破棄されれば次に控える対独戦でフランスが不利になる。目の前に敷かれた道の二つは両方とも地獄行きだ。
 「おい」
 急かすイギリスの呼びかけには応えずフランスは身を乗り出してデスク右最下の引き出しに手をかけた。いくつかの書類やファイルがごちゃごちゃと詰まっており(フランスはこれを片付けるつもりはない)その中から一つ、古臭く黄ばんだファイルを引き抜いた。
 「返事はどうした」
 「ブルータスに刺されたカエサルや、ヴィオレッタからの手紙を読んだアルフレードは失意と怒りと悲しみと、そして何を思ったか想像つくか」
 「関係ない話は聞きたくない」
 苛立つイギリスを無視してファイルを開く。中にはファイルと同じようによれよれの紙束が入っている。紐で綴られたそれを掲げるようにしてイギリスに見せる。
 「これなーんだ?」
 イギリスはくすんだ色の顔を歪ませて「ゴミ」だと一蹴した。
 「ゴミはゴミでもお前と日本の友情とやらに致命傷を与えるかもしれないゴミだよ」
 フランスの言葉にイギリスは俄かに驚愕の色を見せる。ゴミと評した紙束の表紙を注視した。
 「『1776年の英露による日本征服計画』論文発行地はフランス、1889年。ロンドン駐在ロシア大使館書記によるとかねてよりイギリス側からロシアへの日本征服に対する打診があった。イギリス宮廷は海賊を探索船と偽装させカムチャッカへ向かわせる約束を取り付けている。ペテルスブルクからの秘密指令がカムチャッカ政府文書で保管されており」
 「もういい!」
 朗読するフランスの声を遮ってイギリスが叫ぶ。同時に机にそれまで手にしていた木枠の付いた刺繍布をテーブルに叩きつけた。気の抜けた甲高い音がして刺繍布がカーペットの上へと転がる。
 「信頼していた同盟国さんが実は昔から征服を企てていました、しかも現在の敵と。なーんてオペラ以上の悲劇と思わないか?」
 「そんな200年ちょっと前の話、日本が気にするわけねぇだろ」
 「お前200年ちょっと前のことを責められて開国要求を門前払いされたつってなかったか」
 イギリスが黙りこむ。愈々愉快になってきてフランスはイギリスの所作を警戒しながら笑顔をつくった。
 「まぁ日本もね、敵の同盟国からの文章なんて信じないだろうね。あわよくば分裂させたいっていう俺の考えも流石に見通せるだろう、けどそれは問題じゃない。お前が困りさえすればいいんだよ、俺は」
 「……要求は」
 地を這うような低くくぐもった声でイギリスが呻いた。鬱勃とした憎悪がその表情から滲み出ている。
 「お前の要求と相殺」
 イギリスは逡巡するそぶりを見せたがすぐに首を振った。
 「良港での寄港拒否・石炭の補給拒否」
 「……わかった。それで呑もう」
 見栄を切ってみたものの、実質この論文がそこまで大きな効果を生まないであろうことはフランスも理解していた。それにフランスの本音はバルチック艦隊の極東廻航に対して良い感情は持っていない。露仏同盟とはフランスにとってあくまで「ヨーロッパでドイツを囲みたい」ための同盟にすぎないのだ。ロシアの欧州戦力が手薄になることは歓迎できるはずがなかった。同盟国に対して少し冷淡すぎる決断となるだろうが、譲歩の落とし所としては妥当なところだ判断する。
 「これ写本だから一部やるよ。持って帰りな」
 そういって差し出された紙束をひったくるようにもぎ取ってイギリスはフランスを睨みつける。
 「板挟みも大変だな、中立国」
 皮肉っぽく鼻で笑って、嫌味を残してイギリスは去った。
 ドアが閉まり、暗躍に忙しない隣人が出て行ったのを確認してフランスは立ち上がる。カーペットに転がっている半分程度仕上がっている刺繍布を拾い上げてそれを屑籠へ突っ込んだ。
 




アトガキ
1776年時点でイギリスがロシアに日本征服を提案していたというのはなんというか、さすが列強ですよね。
因みにヴィオレッタとアルフレードはオペラ「椿姫」より。フランスが例えてきそうなストーリーがオペラか舞台ぐらいしか思いつかなかったです。

バルチック艦隊に対するイギリスの数々の嫌がらせは本気で半端ない。
英「巡洋艦でバルチック艦隊を追尾しちゃうぜwwwwwww国際法違反にならないぜwwwwwwww」
露「ウゼ工エエェェ(´д`)ェェエエ工!!!」

露「寄港します」
西「おことわりします( ゚ω゚ )」
露「( ´゚д゚`)エー また背後にイギリスか…鬱陀氏脳…」
中立国を脅すわ巡洋艦でバルチック艦隊ストーカーするわ良い石炭(煙が出ない)をロシアに売らないわマジ妨害工作乙wwwww