φιλοσοφια

哲学と猫



 時に日本と俺はお互いの内在的な座標点がズレているのではないかと思うことがある。
 ぽちの肉球を指腹で軽く押しながら肩のつく位置にいる日本を横目に見る。小さな針と細い糸で細々と繕い物をしていた。機械いじりに慣れた手は縫い物も器用にこなしてしまうようで先ほどから針の先がすいすいと布の間をすり抜けている。
 こういった微妙な接触に対して日本が抵抗を示さなくなったのはいつのことだったろうか。初めの頃はキスは勿論ハグも嫌、腰に手を回すのも腕を組むのも手を握るのも肩に頭を乗せられるのも拒否されていた。とにかくパーソナルフィールドが広くスキンシップを過剰に嫌っていた。慌てふためいた悲鳴を何度聞いたかわからない。
 そのときのことを思えば大きな進歩だろう。こうして肩をつけていても無言の内に遠ざかっていることは無くなったしたまに膝枕もしてくれる。しかし彼の進歩を感じつつもまだ足りないと思ってしまうのは欲が深いのだろうか。まだハグやキスはしてくれない(イタリア化した時を除く)し、逆にしようとしてもその空気を察知すると寸でのところでひょいとかわされてしまう。
 「明日の寺社巡りは如何致しましょうか。そうですね……今は紅葉が綺麗ですので嵐山などにまで足を延ばすのも一興かもしれません」
 「ん……日本が薦めてくれるところなら、行ってみたい……」
 「それなら、後で予定を調整してみましょう」
 取りとめも無い会話をだらだらと続けながら日本は指先で作業することが多い。会話をしながらでも指先に集中できるのは彼の能力の高さ所以だろう。二つの動作をこなす日本はやはり器用だ。日本のように思考と作業が切り離せたなら俺も家に転がっている像や絵画の多くは完成させられるかもしれない。部屋の隅に倒れているレリーフは数ヶ月前に作業の途中思考に入ってしまったせいで未だに頭だけ彫ったままに放置してしまっている。
 「地方によっては紅葉を天ぷらにするところもあるんですよ」
 「おいしい……?」
 「んー、揚げ菓子みたいなもの、ですかねぇ」
 ぽちを畳の上に置くと螺子を巻かれたブリキのように一直線に縁側へと歩いていってしまった。廊下からカチャカチャと爪の音がして次第に遠ざかる。日本は気にもしていない様子で頭が丸い待ち針を針山から抜いた。
 「鳥居が……たくさんある神社があるって……聞いた……」
 「伏見稲荷ですね。あそこもなかなか荘厳ですよ」
 「うん……」
 体を日本に寄せると重みに気付いて今まで布に注いでいた視線を上げる。瞳孔の境もわからない黒い色の目とかち合った。
 「……にほ」
 「う、太秦もですね、あそこには侍の格好をした方がいつもいらっしゃいまして、ギリシャさん侍はお好きでしょうから」
 日本はさっと顔を下ろした。今のはキスする雰囲気だったのに、どうしていつも日本はわざとその空気を壊すのか――壊すというより逃げているの方が近いか、拒否の言葉もくれないくせにやんわりと拒否している。
 こういう時には日本と俺のお互いのズレを感じる。好意というものは相対的なもので絶対的なものだろう。比べることもできるし確固たる位置付けもされ得ることもある。その座標の変動はある程度仕方のないものだが日本に於いてその振幅は狭い。その上保守的で一つのカテゴリーに分類されるとその枠からはみ出ることは難しい。猫可愛い。彼の胸中にある分類は仲の良い国、知っている国、知らない国、仲の悪い国程度のもので能動的にキスをしたい相手というカテゴリーは存在しない。おまけに行動から考えるに避けられると感知したものは避けないとそれは能動的にキスをした、と同じことになるらしい。だから絶対的に誰かが特別な一番となるには強烈なインパクトでもなければ相当難しい。猫抱っこしたい。ああ、座標点がズレているのではなく、そもそも軸の次元が違うのだ。俺の好意軸がx、y、zの三次元なのに対し日本にはxとyしか存在しない。それ故に変化は少なく分類数も小さい。猫と昼寝したい。体が小さいからたまに加減を迷うことはあるけれど、彼らはしなやかだし痛ければ素直に文句も言ってくれる。猫可愛い。
 「ギリシャさん?」
 「え?」
 「どうかなさいました?」
 見れば日本は既に縫い物を終えて道具をしまい始めていた。畳の上には裾上げを終えたズボンがきちんと折り畳まれている。
 「一点を見つめて何やら考えこまれていたようですけど……」
 「うん……好きと猫について……考えてた」
 パチンとソーイングセットの蓋を閉めて日本はそうですか、とだけ言った。
 「結論は出ましたか?」
 「ううん……まだ」
 「出たら教えて下さいね」
 そう言って日本はズボンとソーイングセットを持って立ち上がった。着物姿の背中を眺めながら答えが出ることはないだろうなぁと何となく思う。猫が可愛い。



アトガキ
哲学と猫のことをとめどなく考えさせてみたらとんでもなくカオスになった件について!