gods' smiles

造り変える力


 ※芥川龍之介の小説『神神の微笑』パロ

 スペインは鬱屈した気持ちで南蛮寺の庭を眺めていた。日本的な植物の合間に薔薇や月桂などの西洋の植物が植えてあり珍妙な光景を成している。夕日に染まる中咲き始めたばかりの薔薇からは薄甘い匂が漂っていた。静寂の中でスペインは首を擡げて赤い小道を歩きながらぼんやり故郷を想っていた。リスボンの港、ローマの大本山、熱く照らす太陽、思い出が映像として心に流れてやがて懐郷の悲しみと変化した。しかしスペインにとって故郷は恋しいもののそれに固執するものではなかった。ただ只管にこの国を去りたい、支那でも沙室でも印度でも、とにかく逃げ出したい気持ちに駆られていた。どうしてそう思うのか、自身には判じ得なかった。信徒も増え首府にはこういった立派な寺院まで建設されている。愉快ではなかったとはしてもここまで逃げたいと願うのはどういったことなのか。
 夕闇の色が東の空から翳ってきているのを見てスペインは息を吐いた。この国に着いてから間断なく感じている違和感がある。それは目に見えない、そして悪魔などとも種の違う――山にも森にも、或いは家々の並んだ町にも地下の泉のようにこの国全体へ行き渡って潜んでいる――何かだった。スペインを強固に阻んでいるのも同じくその判然としない力だった。
 沈んだ気持ちで影を落とす苔に視線を下ろすと誰かに後ろから肩をそっと打たれた。咄嗟に振り返って見るがそこにはぼんやりした夕明かりを受けた松の木が佇んでいるだけだった。
 「お話でも、致しましょうか」
 「うわっ」
 不意に傍らからした声にスペインは反射的にその場を飛びのいた。長い法衣が翻ってくるりと回る。その場にはいつの間に忍び寄ったのか、首に見慣れない玉を巻いた日本がぼんやり霧のように姿を煙らせて居た。
 「何やもう、脅かさんといてや」
 「おや、申し訳ない。貴方とお話ししようと思って出てきたのですが少々突然でしたかね」
 そういいながらも日本は微笑を浮かべて慇懃に礼をした。
 「暫しの間一緒に歩きませんか?」
 スペインはすぐに了承し元居た位置、日本の傍らへと戻った。歩幅を少しだけ縮めて一緒に歩き出す。
 「どないしたん? 俺に何か話したいことでもあんの?」
 「あなたが弘めようとしている天主教についてです」
 静かに話し出す日本を横目で見てスペインは笑顔を止めた。彼は茫洋とした視線を辺りに投げかけているが冗談めかして話す内容ではないようだった。
 「泥烏須はこの国では最後にはきっと負けてしまうでしょう」
 教えた神の名を日本はぎこちなく発音する。スペインは気にせずに言い返した。
 「デウスは全能の御主なんやから、デウスに勝てるもんなんか居らんよ」
 「ところが、あるんですよ。まぁ、聞いてください。この国にやってきたのは泥烏須のみではありません。孔子、孟子、そのほか支那の哲人たちが何人もやってきました。生まれたばかりのこの国に。やってきたのは教えのみではありません、絹だの玉だの、文字さえもやってきました。しかし支那はそれ故に私たちを征服し得たかといえば――そうではありません。例えば文字、文字は私たちを征服する代わりに私たちによって征服されました。初め支那語は読みのためだけに使用され、私たちの言語は残りました。『舟』という文字――これはシュウ、と読みますが――私たちにとって『ふね』は『ふね』でした。その後伝わった書道も支那の墨蹟を真似ていたに関わらず新しい美を得て日本人の文字へと変化しました。これらは全てこの国の神の力に因るものなのです。この神々の息吹は潮風のように、老儒の道さえも和らげました」
 スペインはぼんやりと日本の顔を眺め返した。頭で理解しようと言葉を反芻してみるが歴史に疎い彼には、折角の日本の雄弁も半分はわからずに終わってしまった。
 「支那の哲人たちの後に来た、仏陀の運命も同様でした。本地垂迹の教では天照大神は大日如来と同じものと思わせました。しかし、どうでしょうか。この国の人が想像する大日如来の姿は印度仏の面影よりも天照大神が窺われます。――長話はご退屈を増すだけでしょうから、この辺りで止しておきましょう。私が結局申し上げたいのは、泥烏須のようにこの国に来ても、勝つことはないということです」
 「せやって、そんなん言うても……。今日なんか侍が2,3人帰依してきとったで? 日本でデウスの教えが浸透してきてる証拠やろ?」
 「何人でも帰依するでしょう。それを言うならばこの国の大部分は仏陀の教えに帰依しているんですからね。しかし私たちの力というのは破壊する力ではありません。造り変える力なのです」
 日本は尚も笑みを湛えながら道端の葉に触った。日本に触られた箇所が一瞬霧のように揺らめいて見えたが錯覚だった。
 「それでも、デウスは勝つ筈や」
 「ついこの間、希臘の男に会いました。彼は今百合若と名乗るこの国の人間と変わっています。……あなたも、お気をつけなさい。天主教はいくら弘まっても、必ず勝つとは云えません」
 日本の声が僅かに、少しずつ小さくなっていく。
 「泥烏須自身も、この国の人に変わるかも知れませんね。支那や印度がそうであったように。私たちは木々の中にもいます。浅い水の流れにも、薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明かりにも……どこにでも、そしていつでもいます。お気をつけなさい。お気をつけなさい。……」
 その声が消え入ると日本の姿も夕闇の中へ、影が消えるように消えてしまった。いよいよ気味が悪くなってスペインは辺りを見回す。眉をひそめた彼の上でアヴェ・マリアの鐘が響き始めた。庭には誰もいなかった。



アトガキ
日本の姿をしているけど実は日本じゃない神様的なものでも良い。存外適当な設定でサーセン。
逆説の日本史での解説を読むとよくわかります。日本って何か不思議な力あるよねって話でした。
輸入したものを超上手くアレンジしちゃうスキルってこの辺から来てるのかなぁ。テリヤキバーガーおいしいよね。
考えてみたらデウス(キリスト教)も見事に日本用に作り変えられちゃってるなぁ…