「と、いうお話だったのさ」
 安楽椅子に深く腰掛けたエジプトが満足そうにえんじ色のハードカバー(中身は普通のコーラン)をわざわざ演技ぶってパタンと音を立てて閉じた。クリスマスの靴下が掛かった暖炉は彼の横でパチパチと静かに音をたてて爆ぜている。某ネズミアニメーションやら童話に出てきそうな一場面、足りないのは目を輝かせる子供と窓辺の雪。それでもエジプトは孫にでも不思議の国のアリスを読み終えた爺さんのようににこにこしている。
 「今更昔の話ひっぱりだしてきて何言ってんだい。もうボケたか」
 目を輝かせる代わりにソファには仮面の大男が可愛げも無い態度でふんぞり返っている。
 エジプトはトルコの態度に興を殺がれた気がして目を細めた。黙っていると見咎めてトルコが後を続けた。
 「珍しくお前さんが喋り始めるから何だと思って聞いてみりゃぁ八〇年も昔の与太話じゃねぇか。時間つぶしにもなりゃしねぇ」
 「自分は一〇〇年以上も昔の話を繰り返しているくせに」
 「ありゃァ別格」
 トルコが至極当然そうに言い流すとテーブルのチョコの包みをいくつか摘んで口に放りこむ。ご丁寧なことにビターチョコは選り分けられいくつもテーブルの上に取り残されたままだ。
 「あの人ァお節介でお人好しで、困ったことに外国人にゃあとことん甘ぇ。一回ウチの民族問題に口つっこむなつった時は民族なにそれおいしいの状態だ。あの民族音痴っぷりにゃぁこっちが閉口しちまったい」
 苦々しそうに言うトルコの表情こそわからないが、その声は言うなれば思い出し怒りに近い。考えれば考える程に腹立たしさが募ってきたのだろう。最後の方は丸めた包み紙をテーブルに投げつけながら言っていた。
 エジプトは笑い出さないようにポーカーフェイスを心がけながらトルコを観察する。クリスマスを前に彼が予定もなく家でごろごろしているのには驚きも何も無かったが少し意外ではあった。お祭りごとがあれば一番にすっ飛んでいきそうな男にしては今日はやたら大人しい。
 「だから、日本絡みのそういった美談ってぇのは探せばゴロゴロ出てくんだ。別段クソ餓鬼が特別ってワケでも無ぇんだよ」
 「ふぅん」
 「しかもそういった昔の美談をあんのお人片っ端から忘れっちまう。エルトゥールルの話なんざ最近まですっぱり記憶の底だったんだぜ?」
 「そうかい」
 「さっきからヤケに突っかかってくんじゃねぇか。……言いたいことあんならさっさと言えや狸ジジイ」
 先ほどの発破のせいか、適当な相槌のせいか(相槌を打っただけいつもよりマシだとエジプトは思うのだが)明らかにトルコの険が向けられてエジプトは肩を竦めた。二、三度キィキィと安楽椅子を揺らすと非常に短気な男の沸点が近くなってきたのに気づいてエジプトは出かけた苦笑を飲み込んだ。
 「得てしていじめっ子といじめられっ子の記憶というものはいじめられっ子に、行為者よりも被行為者のほうに残るものらしい」
 「まわりくどい婉曲禁止」
 「日本が忘れていたとしてもあの子はハッキリと覚えている。……トルコ、お前とギリシャはよく似ていると思ってね。惚れる相手も理由まで一緒なのは何の偶然かな?」
 トルコの周囲の空気だけ一瞬止まった気がした。
 仮面の奥で数度瞬きをした後、トルコは肺に入っていた空気を噴出した。それは途中から笑い声と一緒になって暖炉の情緒深い音を消し去る。邪魔になったのか、仮面を取ってそれを力いっぱいに床に叩きつけた。ガコンという何かが外れるような音がして仮面は床の上に破片となって散らばった。笑い声は依然続いている。
 狂ったかな? エジプトは拳で自分の足を殴りながらケラケラと笑うトルコを見て思案した。だからといって声をかける気はなく気が済むまでトルコを放って置いた。エジプトはトルコの愉快ではない笑い声を聞きながらコーランをもう一度開く。正直内容は全て暗記してしまっているので目が滑るばかりだった。
 一頻り笑って気が済んだらしい、トルコがやっと笑うのをやめた。
 「行ってくるわ」
 そそくさと外出の用意を始めるトルコに、エジプトは笑顔を作った。
 「いってらっしゃい。暖房のついたあったかい君の家は私が留守を守っておいてあげるから安心しなさい」
 一瞬何か言いたげなトルコの珍しく仮面越しでない視線と目は合ったが無視してコーランに目を落とした。













補足というかアトガキ
 去年ご本家クリスマスに続くよ的なね。
 一萬の中での希→日←土はこんな感じです。
 天敵と同じ相手に同じ理由(命助けられました)で惚れるってどこまで似た者同士なんだよこの二人wwていう話が書きたくて。トルコなんかはギリシャが日本に惚れるその理由というかキッカケ作っちゃったの自分だしもうどうしようもないよね! 欲張ると良くないことが起こるもんです。
 因みに当の日本自身はその時のこととか今更言われてもすっかりさっぱり忘れてます。
 正直暖房でぬくぬくのトルコの家には居たいけど一人でぼんやりしたいエジプトさん。トルコの家でお留守番嬉しそうです。